テトリス日和 | 生きてての感想

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted by 橋本冬夏 on  | 

「死にたい」について

死にたいと思ったこと、みなさん一度はあるんじゃないでしょうか。

私は何回も何十回も死にたいと思ったことがあります。
でもそういう風に「死にたい」と考えることができているうちは、
自分は死ねないのではないかと思っています。

「死にたい」と考えられるうちは、踏みとどまることもできるのです。私の場合。
私は「どんな死に方をしても、死んだら迷惑をかける」と考えることで踏みとどまります。
死にたい時に見るメモがあります。
そのメモにはあらゆる死に方が書いてあって、
死に方の横にその死に方だとどんな迷惑をかけるかが書いてあるメモです。
グロイ死に方や大勢に死体を見られる可能性がある死に方は絶対NGです。
何度このメモに助けられたことか。
「行きてる方が迷惑をかけるんじゃないか?」と思うこともあるのですが、
結局死ぬのは迷惑だという考えに落ち着くのです。
私の命の恩人は、自分で書いたメモの紙切れ一枚です。悲しいと思いますか?

そして一番死に近いと感じる時は、それは日常でふとした時にやってきます。
何も考えずに電車や車を眺めている時、空を眺めている時など。
「死にたい」と思わずに自然と死に体がひっぱられるのです。
こんな時が一番死に近いんじゃないかと思っています。
無でいることはとても危険です。死に向かいます。
一歩進めば本当に死んでしまいますが、まだそれはやったことがありません。

私がなんだか生きづらいなあと思うのは、
「死にたい」というのが根底にあって、それに逆らうような気持ちで生きてるからでしょうか。
でも、さっき言ったように「死にたい」も踏みとどまるものなのです。
「死にたい」も本来在るべきものではないと思っているのです。
矛盾してますよね。生きるも死ぬも両方です。
矛盾を抱えてるから生きづらいんですかね。

生きづらいとか言っていますが、
私がこういうことを書くのは、自分が特別だと思いたくないからです。
こういう暗い話ってあんまり話さないですよね?
私が知らないだけで、きっとみんな苦しんで傷ついているんですよね。
これを読んで安心してくれる人がいたらいいなと思いながら、今日も文章を書いています。

こういうことを考えるのは悪くないことだと思います。

スポンサーサイト

Category : 未分類
Posted by 橋本冬夏 on  | 0 comments  0 trackback

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://psmp00.blog.fc2.com/tb.php/110-88579941
該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。